我らを濡らすは修羅の涙か

 5月13日。

 昨日はワークを行うにじゅうぶんな時間がありながら、ハンドルのがたつきに起因する振動がシェイクするたびにグリップで増幅されどうにもならなくなるぐらいどうにもならない眠気のため怠ってしまった。

 後悔と共に迎えたこの日。
 外に出れば雨が降っている、が、もう冬のような厳しさは無い。これなら口先だけの根性しかない修羅でも難なくしのげそうなものだ。
 土曜日である。
 二度目の降臨、新たなる名言といったものへの期待を込めて降臨跡を目指す。

 降臨跡に着いてみれば、橋の下には大勢の宴会組。釣り人の姿はといえば…下野さんが一人。
 「おめえばっかポイント独り占めしてんじゃねえよ!」
 と、お約束の挨拶とともに互いの気違いぶりを笑う。
 様子を聞いてみれば、一度バイトがあっただけだという。
 勿論、「アタったとかバレたとか、そういう話は聞きたくねーんだよ!」と噛み付かないわけにはいかない。

 見える魚といえばコイぐらいのものだが水面は凪いでいても、雨雲、雨粒、ローライトとくれば魚に掛かるプレッシャーは緩和されていることだろう。
 まずは反応を見ようとサミー65をキャスト。
 サミーは伝説アナザー氏も推奨する、カラーなど関係無しに良く釣れるベイトであるとのこと。君臨していた四年の間、多摩川スモールマウス総キャッチ数三本のうち、一本はサミーによるものだったというのがその根拠だ。
 タイニーブラッシュホッグと並ぶ、伝説のお墨付きルアーである。
 数投するうちに、今の状況ならバスに絞るより、ナマズ、コイ、ニゴイなども意識した方が良さそうに思えてきたので、ワンダー60に結び替えて流していったところ、チェイスしてくるブラックを確認。
 追ってきているところを見るとやる気はあり、しかし食わないのはどこか不自然さを感じているからだろう。
 ということで、ベイトのサイズを小さくして同じコースをリトリーブしてみる。
 するとペケニシモではあったがキャッチ成功。
 数投後、再びバイトが出たがフッキングには至らず。
 スカジットデザインズの小型スプーンは釣力は悪くないが、このサイズのものは釣りの醍醐味であるキャスティングが楽しめない。フィネスなソフトプラスチックならこれよりは釣りの醍醐味があるが、この一帯にはワームでの探りに適した流れの当る際立ったカバーがボトムに無い。

 さて、どうしたものか、と手を束ねていたところ「おめえばっかポイント独り占めしてんじゃねえよ!」の声。
 童威だった。
 上流域で四匹のスモールマウスをキャッチし、ナマズの姿を見ることもできたという。
 上流域にはアユの放流場所があるという。だとするならば、あの場所の好調の理由も頷けようというもの。
 しかし、先日のあの一帯の人出を見てしまった以上、行く気にはなれない。そして今日もあのポイントには多数の釣り人が来ていたという。
 そんな、自分が避けているポイントで、自分より遅くに釣りを始めた者が調子よく釣っているとなれば妬ましく感じるのが伝説式。
 そこで朕は「童威さんは新川では釣ったことないよな。大したことねえなあ…オイ!」とブチキレてやった。
 雨によって降臨跡が力を増したかに思えたが、相変わらず冴えないままであったので、やはりあそこなのか。朕と童威は韓流ポイントへ移動。

 韓流ポイントには釣り人が皆無。
 小型スプーンにスペルペケニシモがバイトし、表層でワームを引く童威もバスを呼び出していたが、いずれもフッキングにまで至ることは無かった。
 「アタったとかバレたとか、そういう話は聞きたくねーんだよ!」と罵り合っていたが、この一帯で間違いないのだろうと粘ってみる。
 しかし、やがてバスの気配は遠のいていき、朝の四時からやっているという童威は集中力の限界を訴え、納竿。
 「何だ、諦めるのか。おめえには根性がねえ」と、伝説三輪式で見送り、これを機に朕も移動することにした。
 
 降臨跡に戻ってみれば、下野さんも消えていた。次回会うときは「何だ、釣れなかったのか。だらしがねえなあ」と言ってやるのが礼儀だ。
 降臨跡を一通り流してみたがまったく気配は無く、徐々に増水していく様子を見て、バスよりもむしろナマズのほうがチャンスありではないかと思われてきたので、先日ナマズの徘徊が確認された五本松まで行ってみることにする。

 先日は涸れていた五本松水門には流れが生じ、フェラガモ水路への落ち込みにはコイが大群で寄り、一帯の水面はコイだらけという状況になっていた。
 流下ゴミは大量で、ルアーを引くたびにゴミやらアオミドロやらがどこかしらに付着してくる。
 見える魚はコイばかりのうえまともにルアーを引けず、朝から何も食べていない空腹状態もあって、呆気なく気力が萎える。

 三輪氏に“ガチ”とバカにされていた朕である。雨具さえあれば、この時期の雨などどうということもない。しかし、朕の体は無事でも、懐にえっていた携帯電話が雨を吸って死んでいた。
 かつてその心が娑婆にあった頃であればうろたえ、早急に対処していたであろうが、今となっては混沌氏の術を修めるのにかえって好都合である。
 機能が死ぬ前に釣果写真の転送を済ませていたのは、朕が道に適ったところに在ったからだといえよう。
 サミュLジャクソンは『パルプフィクション』で「神が奇跡を起こして銃弾を逸らせてくれたというんじゃない。オレはあの時神の存在を確かに感じた。そのことが重要なんだ」と言った。
 ちょうど朕もそれと似た心境になって、心地よく帰ることができたのだった。

 ※マー語
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tag : 多摩川 ルアーフィッシング

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Author:dragon
天に替って道を行おうとする人。
玉帝の導きに従い、非凡なる境地を目指している。

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