述懐 黒歴史を生きた時代 その五

 90年代に、いつの間にか始まっていた、バスを中心としたルアーフィッシングのブーム。90年代半ば頃、オレの住んでいたDQN会社にもその波は及んでいた。
 90年代バスバブルといわれていた時代である。
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 トラウトは生息域が限られる。シーバスは苦手意識が刻まれた。一方、バスの生息域は広範囲に及ぶという。恒常的な趣味としてルアー釣りをやるのならバスを狙うのが現実的なのか。そう思い始めていた。

 ビーバスはバスフィッシングの先輩ではあったが、かのDQN会社にあっては、後輩であり部下であった。
 一種命令として「オレにバスフィッシングを教えてくれ」と相模湖行きが決定した。何故、相模湖だったかというと、当時読んでいたルアーフィッシング入門のフィールドガイドによれば、相模湖では川から降りてきたビッグトラウトの可能性もある、という記述があったためだ。
 当時、どういう事情でそうなったか記憶の方は定かでないが、何故か電車で上流部へ行った。
 ルアーを追うニゴイをイワナと勘違いしてみたり、初めて野生のバスを目にしてみたり。
 結局、バスは釣れない。先輩とはいえ、当時はビーバスもヘボの最中、当然の展開である。
 この状況を打破すべく、オレたちは大先輩、王倫氏を頼った。
 「そういう時はワーム使うんだよ。底取って、ゆっくり引いてきてみな」
 ありがたいアドバイスをもらうが、ハードベイトに反応しない見えバスがたくさんいるという判断材料だけで、これだけのことを断言できたのは、いかにその知識が経験の伴わぬ受け売りであるかを物語るわけだが、そんな疑念など抱くにも至らぬ二人のヘボは、この急深のリザバーで、バスのレンジが明らかに浅いというシチュエーションの中で、ナイロンライン(当然、オレはKENスーパーSXライン使用だ!)でもボトムを感じられる重いテキサスリグを組み、何十秒と沈めボトムをトレースしていたというピュアっぷり。

 くたくたの帰り道。
 「やっぱ、バスは難しいっすね!」「でも楽しかったな!」「そうっすね!」こんな性分が、遅過ぎたとはいえ、やがて比類なき覚醒に至らせたのであろう。

 筆を進めるほどに、当時の記憶が鮮やかに甦り、えもいわれぬ感慨に包まれる!

 オレとビーバスがバス釣りに行った話しを仲間たちに話すと、かの王倫氏も「おお、バスやりたくなってきたか。オレ、いい所知ってんだよ」との仰せ。
 次は、みんなでバス釣りだ!
 王倫氏と紅蠍、その他の仲間たちと、渋谷の上州屋に行き、キャスティングタックル一式を買い、一端のルアーマンっぽくなってきた気分だった。渋谷での買い物ということで、サンスイにも寄ったが、KENが無かったし、物が高いな、という印象しか持てなかった。

 ベイトキャスティングの練習は多摩川の人気の無い河原で行った。口さがない赤の他人に「キムタクのマネして…」と思われたくなかったからだ。この頃、キムタクはバサーで、工藤静香との八郎潟フィッシングデートを目撃されたりしてたんだよな。

 『千夜釣行』は、これまで以上に熱心に見るようになり、バスやルアーをやらない週は、ひどくがっかりしたものだ。釣り番組で、ルアーフィッシングをやらない週は、がっかりするというのは今も変わらぬが…。
 そして『千夜釣行』で学んだのは、いかなる場面でもワームこそが最終兵器的役割を果たすルアーだということ。

 トラウトに始まったルアー道。流行の後押しがあったとはいえ、何かとバスフィッシングが一番面白く感じられ、釣りの中心を占めるようになって行く。
 
 そして、王倫氏が指した「いい所」というのは忍野の釣堀だった。そこにバスが居るという。富士五湖が近いのに、何故、決して安くはない銭払ってまで釣堀?という疑念はよぎりもしなかった。
 これまでの学習で、バスは一筋縄ではいかぬ魚で、ワームを使ってようやく釣れる魚だということを知っていたからだ。そんな魚を王倫氏がクランクベイトで6,7匹も釣ったのが忍野釣堀なのだ。
 これは、初心者ルアーマンにバスを釣ってもらおうという、大先輩の格別の配慮なのだ!

続く

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Author:dragon
天に替って道を行おうとする人。
玉帝の導きに従い、非凡なる境地を目指している。

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